人間とは何か 〜 What are human beings ? 〜

人間について考えます。今の社会を上手に生きる術を考えます。

自分を犠牲にして家族を介護すること

高知東急氏の覚せい剤の一件が報道されております。

news.yahoo.co.jp

覚せい剤に手を出せるのは、そこにつながる交友関係があるからだと思うんですね。普通は、シャブの入手ルートなんて知りませんよね。それとも、芸能人は売人が寄ってくる構造になっているのでしょうか。

話変わりますが、

だいぶ前ですけど、この人は、パーキンソン病の義父の介護のために芸能界を引退するという話がありました。一部では、この決断はすごい、という声もあるわけですが、私はそうは思いませんでした。

家族の介護のために、自分を犠牲にすべきではない

というのが筆者の考えです。この人は俳優だったから、ひとつの美談として扱われましたが、一般人だったら、最近良く問題になる、介護共倒れ事例ですね。私は、介護はプロに任せるべきで、家族はちゃんと働くべき、と思っています。ドライですが、家族が介護したら、介護する側の人生も犠牲になるのです。

私は父が好きだから、母が好きだから、で自宅介護するのは、美しい話ですがキツイです。

自己犠牲による貢献を美しいもの、と捉えるのは日本人独特のものがあるのかもしれません。内心、親の介護でこんなに疲弊している私スゴイ!カッコいい!とすら思っているのかもしれません。でも、私が介護される側だったら、家族に負担かけるのではなく、プロにやってもらいたいと思います。そのほうが気を使わないし。

瞬時の判断におけるクセを修正するのは大変

キリンカップサッカー決勝で、ロスタイムで決定期を逃したFW浅野の判断をみて、ああ、とても日本人的だなと思った。

web.gekisaka.jp

すごく分かるな。
ある課題を与えられて、熟考したうえで判断できるケースでは、今後はこうしようと思ったことを反映させることは容易だけれど、一瞬の判断では、普段のクセが出てしまう。

確実なほうを取ってパスするのか、思い切りシュートを放つか(でもフカさないでほしいけど)、守る側にとってイヤなのは実は後者のほうだ。でも当事者は、前者のほうが確実だと思ってしまう。いや、確実だと思ってやってるのではなく、弱気の虫が働くのだ。

今回にかぎらず、日本代表の試合では、ペナルティエリア内でもパスしようとしてることが多くて、打てよーー!!と思うことが少なくない。この弱気な判断はもう、国民性だろうなあ。

どうすればいいのだろう?
瞬時の判断に影響を与えるのは、その人の人生で積み重ねてきたもの全てだ。それを簡単に書き換えるのは難しい。。。

舛添さん

今ホットな話題ですね。
普通に考えると、使いみちとしてはおかしいですね。

で、これを、舛添さん自身の資質に問題がある、金銭感覚に問題がある、ということで済ませても、まだ誰か別の人で同じような問題が起こるはずです。これは、人間の本質と、支出管理の仕組みの問題です。

 

1)まず、人間は、管理されていないところでは、少しずつ堕落していくものだと思います。少しずつ、というところが重要で、本人には罪悪感がなく堕落していきます。

 

2)支出に関しては、支出が実行される前に第三者的チェックを行う仕組みが必要でしょう。チェックする人は、知事自身が任命してはダメです。意味ありません。

 

こういうことが騒がれると、都の職員のやる気がなくなって都民へのサービス品質が低下するという問題もありますね。

とはいえ、非難ばかりではなく、

選んだのは都民だ

という認識を、都民自身が持ち続け、自分の責任なのだと思うことが重要で、知事の選任だけでなく、知事周辺の管理の仕組みを変えるために動くべきでしょう。

しかし、自分が選んだ第三者にチェックしてもらって、本当に第三者になるとお考えなのでしょうか?
会見が終わったあと、マスコミのいないところで、取り巻きにたいして、

まあ、あんなもんでいいだろ?

なんてベロを出してるような姿が想像されます。

ヘイトスピーチ

するほうでもなく、されるほうでもないので、あまり詳しくないですが、思うところを書きます。

私の意見は、法律で規制するとかじゃなくて、放っておくのが一番ではないか、と思います。あるいは逆に、ヘイトスピーチする人の顔や行動をしっかり記録して共有するのもありかもしれません。で、今日のわんこ、みたいに紹介していくのです。ま、これはまた別の問題を生みそうなので、前者のほうが無難ですね。

ヘイトスピーチする側にも大儀があり、それを規制したい側にも当然、大義があります。戦争と同じです。

法律で規制されても、いや、そういうふうに注目されるからこそ、やりたくなるのが人間だと思います。

やっても手応えを感じられなければ、だんだんと参加者が減っていくものだと思います。暴走族の若者と同じかもしれませんね。

 

ヘイトスピーチ自体は良い物とは思いませんが、それをやるのも自由と思います。言論の自由とかいいながら、ヘイトスピーチを規制するような法案を作るのもどうかと思います。


ヘイトスピーチを盛り下げるのに最も効果的なのは、無関心、だと思います。

 

ヘイトスピーチを推進するほうも、反対するほうも、そのエネルギーに感嘆します。どちらにしろ、そこまで出来ないですよ。デモをやったって、規制したって、どちらにしても、マスコミが騒ぎ立てなければ、世の中的には何の効果もないと思います。

放っておくことです。

昔の自分に戻れない

仕事でもプライベートでも、生活は決断の連続です。

決断の粒度は様々ですが、それぞれがその決定に至ったプロセスというものがあるはずです。どっちでもいいから適当に決めた、というのも含め。

で、特に仕事で多いのが、

こういう決定がなされたというのは分かったが、そう決定された理由やプロセスが不明である

というケースです。

例えば、ある分野の技術を導入するにあたって、競合するメーカーの幾つかを評価した結果、あるものに決定した。どういうプロセスを踏んでどういう理由で決定されたのか?

といったようなケースです。

過去に、自分で決めたケースでも、そのプロセス詳細は思い出せないことが多いです。

オススメは、

決定事項はこれで、その決定に至ったプロセスはこうで、というメモを残しておくということです。そのプロセスのなかで直面した問題などもあれば書いておくとよいでしょう。

そういうことを習慣づけておければ、過去の自分の助けてもらえることがあります。

現実には、目の前のことで忙しくてなかなかそうもいかないんですがね。いまは情報の保存・共有のためのツールは充実しているので、もうちょっと楽になっているでしょう。

ベッキーの件が盛り上がるのは、羨ましいからでしょう

トラック競技なら5周遅れって感じですが、ベッキーの件を考えました。

個人的な意見としては、

そんな悪いことしてるか?

です。人を殺したとか、すごい詐欺行為で誰かに金銭的損失を与えたとかではない。

社会通念上は、不倫はいけないとか、それは理解します。多くの人も、それはいけないことと思っている。故に、世間体を維持するためだけに、形だけの夫婦を演じてる家庭は相当数にのぼるでしょう。

で、この件は、離婚して自由になりたいとか、不倫してみたいとか、妄想しているけど実行には移せない人々が、羨ましいという思いの裏返しとして叩いているように見えます。自分がこんながんじがらめの状態にいるのに、あいつは自由に楽しそうに。。。という感じ?

逆に、そういう妄想してないで満たされてる人には、そんな叩くようなネタにも見えないのです。第一、自分には全然影響ない、関係ない話ですしね。

マスコミが異常に騒ぎ立てることも一因でしょう。本当に、日本っていい国ですね。

というわけで、個人的には、

ベッキーさんには、仕事や事務所のことなど考えず、自分の気持ちに正直に行動してほしいな、と思うわけです。そうすることで、その行動を支持し応援してくれる人も一定数いるはず。私はそっち側です。周りで騒ぐひとは、あなたを幸せにはしてくれません。

私のなかでベッキーと聞いて連想されるのは、メールソフトだったんですが、今回の件で、メールソフトと芸能人が半々くらいになりました。

ブログを始めます

こちらで、ブログを書き始めます。

テーマは、人間とは、人間の幸せとは、です。

普段、ITを始めとした最先端のテクノロジーに携わっている筆者が、もう一方で興味あるのが、テクノロジーとは違い全く掴みどころのない『人間』そのものです。

テクノロジーは移り変わりのスピードが物凄く早いのに対し、人間は、本質的にはずーっと変わっていないように思えます。それがすごく興味深いです。

ちなみに、URL のなかにある、whb は、

What are human beings ? (人間とは何か?)

から取りました。超安易です。

 

というわけで、始めます。